@article{oai:soar-ir.repo.nii.ac.jp:00010538, author = {曽根原, 昇 and 馬場, 多久男 and 伊藤, 精晤}, issue = {1-2}, journal = {信州大学農学部紀要}, month = {Mar}, note = {著者らはこれまでに棚田畦畔法面の植生について長谷村,明日香村,更埴市姨捨地区において調査を行い,棚田畦畔に成立する植生型を明らかにしてきた。そうした植生型は多くの農家による草刈り方法の相違によって成立し,日本各地の伝統的な棚田畦畔(以下,伝統的畦畔)ではそれらの植生型が持続的に維持し,多くの在来植物種が存続する条件が共通していることが推測された。しかし,近年の圃場整備事業の進展により画一化された水田畦畔(以下,整備畦畔)では,機械化,省力化された水田畦畔の維持が行われ,除草剤の散布や畦畔被覆のための帰化植物の播種がおこなわれたなどのため,数種類の帰化植物によって構成された単純な植生が目立っている。また,棚田の耕作放棄の増加にともなって,放置された畦畔では遷移の進行により貴重な草地が失われつつあり,そうした意味でも伝統的な棚田畦畔に成立する在来植生は貴重な存在であるといえよう。本研究は,伝統的畦畔と整備畦畔の植生の違いを明らかにし,伝統的畦畔の植生が整備畦畔の植生に与える影響を知ることを目的として,伝統的な棚田が比較的広範囲に保存されている更埴市姨捨地区において,伝統的畦畔の植生とそれらに隣接する整備畦畔の植生を調査した。その結果,伝統的畦畔法面の植生は相対的に種数が豊富で帰化植物種が少なく,逆に整備畦畔の植生は相対的に種数が少なく帰化植物種が多いことが明らかとなった。また,整備畦畔の植生は,伝統的畦畔に距離が近いほど帰化植物率は低下し,出現種数が増加することが明らかとなった。こうした結果は,姨捨地区のように広範に棚田が存続する場所では,伝統的畦畔の植生が多くの在来植物によって構成され,種子供給源となって周辺の整備畦畔の植生回復の可能性を示唆するものである。, Article, 信州大学農学部紀要. 39(1-2): 37-50 (2003)}, pages = {37--50}, title = {長野県更埴市姨捨地区における伝統的畦畔植生が隣接する整備畦畔植生に与える影響}, volume = {39}, year = {2003} }